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圏論に最短で入門する

はじめに

私が圏論という分野を知るきっかけは、おそらくこの文章を読んでいるほとんどの人と同様に Haskell の勉強をしたことがきっかけでした。

Haskell のモナドなどを利用する上では圏論を理解する必要は全くないのですが、型システムや処理系に関して詳しく知りたくて論文を読むと圏論の言葉が普通に使われていて、理解できずに断念していました。

そこで、当時数人が集まってやっていた圏論勉強会に参加して圏論の勉強を始めました。当時読んでいた書籍は Conceptual Mathematics: A First Introduction to Categories でした。この本は圏論の初学者向けに書かれた本で、数学的な知識をほとんど仮定せずに理解できるように書かれている非常によい本です。一方で全く数学の素養がない状態で読むと、証明もちゃんと追えているのかあやふやでなんとなく分かった気にさせられる本でもあります。私がまさにそのような状態でした。

しかし、ずっと圏論をちゃんと理解できるようになりたいと思っていたので、大学の数学科に進んだ学部1,2年生が学ぶような数学から勉強を始めました。圏論は比較的最近、1940年代に登場した理論で、数学の中でも非常に抽象的な理論なので数学を勉強しはじめてもすぐには出てきません。私は独学で勉強していたので数学の世界で右往左往することになったのですが、とりあえず現状で私が考える、圏論に至るための最短の道を紹介します。この順で勉強すれば、圏論の書籍を読む頃には、圏論が提供する抽象化を「あ〜あのことを言っているのか」と思いながら読めるようになると思います。

計算機科学の世界で生きてきたのにうっかり圏論と出会ってしまって、「今更また一から数学の勉強をしないといけないのか〜」と絶望に打ちひしがれている、昔の私のような人の一助になれば幸いです。

対象読者

どの位いるのかわかりませんが、昔の私と同様に以下のように考えている人を対象とします。

  • 数学の素養がない状態で圏論を勉強してみたけれども抽象的すぎていまいち分かった気がしない。
  • 圏論を考えるための道具として使えるようになりたい。
  • 抽象的な圏論の考え方が、数学のどのような背景から生じてきたのかという歴史的な事実を含めて、数学者が圏論を理解しているような仕方で理解したい。
  • だけど回り道をしたくない。

数学以前

数学にもともと興味があって数学科に進学した学生でも、大学以降で学ぶ数学についていけなくて挫折してしまう人は多いようです。私の考えでは、

  • 大学受験までの計算主体の数学から、大学以降の証明主体の数学への移行を明確に意識させること
  • 移行のためのトレーニングを積ませること

を学生が認識できる形で教育機会として大学が提供できていないことが原因なのではないかと考えています。

具体的には以下の能力、

  • 証明するべきことを正しく論理式として表現する能力
  • 許された演繹規則のみを用いて、正しい証明を構成する能力

の二つが身についていないと、今からあげる書籍を100回読んでも理解できるようにはならないと思います。

時々、はじめにはわからなかった証明も何度も読んでいればわかるようになってくる、といったことを言う人もいますが嘘です。数学の証明はそのような形で理解する性質のものではありません。そのようなことを言う人が語る数学はいい加減なので信用しないようにしましょう。

一般に数学書では、定義や証明は自然言語を用いて記述されています。そこで数学書を読む際には、

  • 定義が出てきたら論理式として表現する
  • 証明が出てきたら、証明するべきことを論理式として表現する
  • 自然言語で記述されている証明に相当する論理式の操作が、許された操作のみを用いて行えるかを確認する

といったことを行いながら読み進めましょう。

上にあげた二つの能力を身につけることを意図したよい書籍を残念ながら私は知りません。入門書として野矢茂樹の 論理学 などから読み始めるといいでしょう。あなたがもし計算機科学の素養を持っているなら一番よい方法は Coq を使ってみることです。

数学の基礎

数学科に進学する学部生は解析と線形代数から勉強を始めるのが一般的なようです。圏論に最短で至るという目的ではとりあえずこの二つは飛ばして構いません。数学科の学部2年生後半から3年生に学ぶ内容から始めましょう。

はじめは松坂和夫の 集合・位相入門 です。

圏論では最も基本的な圏の例として、集合と関数の圏  \bf{Sets}、位相空間と連続写像の圏  \bf{Top} が頻繁に登場するのでこの書籍の内容は外せません。松坂和夫の本は、長きにわたり数学科の学生の定番書になっているからか、誤植も少なく証明している定理も非常によく選ばれている感じがします。また証明が適度に厳密で、この仮定からこの結論はどうやって導いたの? とか、詳細は読者に任せるといった、初学者泣かせも非常に少ないです。

次は同じく松坂和夫の 代数系入門 です。

ある代数系とその準同型写像の圏は圏論の書籍でも頻繁に登場します。準同型写像といった用語や意味は知っていて当然という前提で圏論の書籍は書かれています。群は数学のありとあらゆるところに出てきますし、環  R 上の加群はホモロジー代数を学ぶ上での基本です。 一方で、歴史的には重要でガロアの人生ドラマもあり面白い話題ですが、圏論を学ぶ上ではあまり必要ないので最後の章のガロア理論は飛ばしてもいいと思います。

これ以降の勉強をする際にも、この二つの書籍は何度も参照することになると思います。しっかり理解して常に持ち歩きましょう。

ホモロジー代数

代数的トポロジーの成果から図形的な内容を削ぎ落として、純粋に代数的な内容のみを取り出した分野がホモロジー代数です。圏論は、代数的トポロジーの研究の中で生じてきた概念だと言われています。ホモロジー代数の書籍では、圏の定義が登場し実際に利用します。ホモロジー代数の勉強を通して、圏論を実際に利用する感覚を身につけることができるでしょう。

ホモロジー代数に関して、日本語で読める書籍としては幾つかありますが河田敬義の ホモロジー代数 (岩波基礎数学選書) が良い本だと思います。残念なのは絶版中であるということです。私は近くの大学の図書館で読みました。

一点述べておきたいのは、ホモロジー代数は、代数的トポロジーの内容から図形的な内容を削ぎ落とした分野なので、それ自体がとても抽象的です。圏論が抽象的で理解できないからホモロジー代数の勉強を始めたが、こちらも圏論と同じくらい抽象的でわからない、ということになるかもしれません。私は、代数的トポロジーの知識をある程度身につけた状態でホモロジー代数の勉強をしました。ですので、代数的トポロジーの知識がない状態でホモロジー代数を理解できるか、理解したと思えるのか、わかりません。

もしホモロジー代数を勉強してみて抽象的すぎてよくわからないと思ったら、1年程度遠回りになってしまいますが、代数的トポロジーを勉強することをお勧めします。トポロジーの世界では急須とドーナツは同じ形だ、といった話を聞いたことがあると思います。代数的トポロジーの書籍では、図形を用いて直感的に理解できるような説明がされています。代数的トポロジーに関して、日本語で読めるよい教科書は残念ながら無いと思います。私は Joseph Rotman の書籍をお勧めします。An Introduction to Algebraic Topology (Graduate Texts in Mathematics)

直感的な説明、証明になりがちな代数的トポロジーの分野において、この書籍は、定義、証明が共に非常に厳密に記述されています。扱っている題材も十分で、初めから順に読めば、ホモロジー代数の背景にある幾何学的な内容を理解することができます。誤植が多いのが難点ですが、自分で証明を検証することができる能力があれば修正しながら読み通せるでしょう。

Allen Hatcher の Algebraic Topology は Amazon の書評では Rotman よりも高評価が多かったので購入しました。初めの章を読んでみて、定義、証明が非常にいい加減で読めたものじゃないと思い読むのをやめてしまいました。しかし、Rotman を読んでいて証明がわかりにくいところあってこちらの本を参照してみると、非常に簡潔に証明が与えられているということが何度かありました。どうやら、初めの章は導入で次の章から本格的に証明などをきちんとやっているようです。

圏論

圏論に単に到達するという意味では、ホモロジー代数の段階で圏論が出てくるので、目的はすでに達成しています。しかし、そこでは、ホモロジー代数で学んだ内容を圏の言葉を使って置き換えるといった使われ方がされており、ホモロジー代数以外の分野への圏論の応用や圏論自体の研究の成果を知るという観点からは不十分な内容になっています。そこで、圏論自体について書かれた書籍を1冊読むことをお勧めします。

圏論の書籍としては、初めに挙げた Conceptual Mathematics: A First Introduction to Categories があるのですが、ここまでに挙げた書籍を読んだ後では多少物足りなさを感じるでしょう。そこで私は Steve Awodey の Category Theory (Oxford Logic Guides) をお勧めします。この本も、Conceptual Mathmatics 同様、数学の素養のない人も読めるようにと謳われているのですが、数学の素養のない人には難しい内容になっています。逆に、数学の素養を持った人には、この本程度に数学の例を出してくれた方が理解しやすいと思います。この本の内容を理解すれば、かの有名な

モナドは単なる自己関手の圏におけるモノイド対象だよ。何か問題でも?

という言葉の意味も、理解できるようになっているでしょう。

ここで挙げた書籍も含めて以下の記事で圏論の入門書籍・入門資料をまとめました。ぜひ参考にしてみてください。
www.orecoli.com

もっと手取り早く圏論の勉強を始めたい人へ

上で挙げた Steve Awodey の Category Theory (Oxford Logic Guides) が圏論の入門書としてはおすすめです。ですが、数学の素養がある程度あることを前提としているために、証明は練習問題として読者に任せるとか、証明は明らか、として省略されている箇所が多数あります。
そこでより数学の素養を持たない人向けに、このブログの以下の記事で Awodey 本の詳細な証明をしています。書籍とこの記事の内容を両方参考にしながら読み進めることで、より Awodey 本が self-contained になり自習しやすくなると思います。ぜひ参考にしてみてください。
www.orecoli.com

おわりに

私が考える圏論にいたる最短の道を紹介しました。最短とはいえ、証明をしっかり自分で追いかけて練習問題も解き復習もしながら読むと、2年以上の時間がかかるでしょう。本当に価値のあるものは簡単には手に入らないと思いながら頑張ってください。初めに対象読者と設定した読者の方には一定程度の参考になるものと期待しています。

圏論は今や、数学のありとあらゆる分野に出てくるので、私が紹介した道が唯一ではないし最短でもないかもしれません。勉強を始めると興味を持つ分野などが出てくると思うので、その分野の方に脇道に逸れてみるというのもいいと思います。数学はそれ自体が、人生を捧げる価値のある非常に魅力的な学問だと思います。

紹介した書籍

論理学

論理学

集合・位相入門

集合・位相入門

代数系入門

代数系入門

ホモロジー代数 (岩波基礎数学選書)

ホモロジー代数 (岩波基礎数学選書)

Conceptual Mathematics: A First Introduction to Categories

Conceptual Mathematics: A First Introduction to Categories

An Introduction to Algebraic Topology (Graduate Texts in Mathematics)

An Introduction to Algebraic Topology (Graduate Texts in Mathematics)

Algebraic Topology

Algebraic Topology

Category Theory (Oxford Logic Guides)

Category Theory (Oxford Logic Guides)

圏論 原著第2版

圏論 原著第2版